防災ノート~災害と安全~高等学校版
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2 備えよう 5 避難所運営シミュレーション 避難所運営シミュレーション 食料物資班 事例カード ③今までにあった事例カードを読みましょう。 〈体験談1〉 みそ汁が不足で大騒ぎ 地域の炊き出しでは、避難所の全員に行き渡るように400人分のみそ汁を作りました。第一に子供、次に高齢者、最後に大人という優先順位が自然にできあがったときは、「やはり日本って、すごいなぁ。」と感心しました。ところが、車中泊をしていた人たちを数えていなかったのです。「俺の分はないのか。」と怒鳴られるのはすごく切なかったです。 〈体験談2〉 支援物資はみんなの見えるところに 「あります。」と「ありません。」を避難者全員に知らせるために、届いた支援物資は全て見えるところに重ねておきました。 〈体験談3〉 物資の分配は、みんながいる時に 避難所にいる人たちのほとんどは、家族が行方不明になっていたり家が流されているために、日中は捜索や片付けのため外に出ています。物資が届く度に配布していたのでは、物資の配分に偏りができます。そこで、届いた物資はすべてステージや二階のギャラリーに重ねておき、今日は衣類の配布、明日は靴の配布などと、毎日夕方に時間を決めて配布しました。 〈体験談4〉 平時の不平等は、有事の平等? 被災地で僕が感じたのは、物資を持って行っても全員分が集まらないと配らないという平等の名のもとに必要な物を配らないという現実でした。でも、千葉ちゃんたちは「あるものみんな持って行って。」ということを最初からやっていた。ある意味、明友館は不平等をやっていたかもしれない。けど、その不平等が、有事の際には平等だったりするんです。※明友館とは避難所となった建物の名前です。 〈体験談5〉 長持ちする食材はとっておく 避難所生活が始まった直後は「支援がいつまで続くか分からない。」ということで、長持ちする食材をできるだけ使わないようにしていました。結果、食事の内容が偏りました。 〈体験談6〉 困った、アレルギーがある子のごはん 食事に関して困ったのはアレルギーです。避難当初、小麦アレルギーの子供を連れた家族がいました。避難の最初には食材もなく対応できませんでした。他の人が少しずつでもおかずを食べている時にその子はおにぎりだけしか食べられません。申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが、なんともなりません。2~3日で親戚の家に避難場所を変えました。 〈体験談7〉 いつ届くのか分からない次の支援物資 震災直後は色々な物が流されてしまい、支援物資が不足していましたが、生きるのに欠かせない飲料水も不足していました。飲料水が配られたときはとても助かりましたが、「次の配給はいつになるか分かりません…。」と必ず言われました。ペットボトルの水を手にした子供たちは大喜びでした。蓋をあけると一気に飲むのですが、「明日の分も残しておこうね。」と教えると、飲むのをやめてくれました。 〈体験談8〉 逃げ込んだけど、備蓄がない! 自治体が指定する避難所には、「避難生活を送ることができる場所」と「緊急時に一時的に避難ができる場所」等の種類がありました。しかし、後者には、備蓄がなく配給も届かないとは知りませんでした。そのため、「指定避難所」と掲示してある施設に入ったにも関わらず、物資の備蓄が全くなかったというところもあったようです。 ※事例カードについては、東日本大震災等の経験談や書籍等を参考に作成したものであり、当時の状況や思いを伝えるため、原文に近い形で掲載しています。

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