2 備えよう 4 避難所 知る 避難所を運営するとは 地震直後の混乱の中では、自分が今、何をすべきか、何ができるかをよく見極めて行動しなくてはなりません。避難所や住まいの周辺では、高校生のあなたの力を必要とする人々がきっといます。ここでは、 発災後、学校が避難所になった場合に起こる問題点とその具体的な対応や役割についてみんなで考えましょう。(避難所を運営する側の視点で書かれています。) ●東日本大震災後の学校再開までの主な流れ(宮城県石巻西高等学校の教職員の記録より) 【3月】 3/11(金)14時46分頃に三陸沖を震源とするマグニチュード9.0の巨大地震発生。学校の被害なし。15時頃に女川原発が自動停止。15時04分に仙台空港が停止。20時頃に仙台港で製油所爆発火災発生。西高に避難者が数十名殺到し校舎の一部を開放。大津波警報発令のため校舎と西翔会館に避難者誘導。夜には避難者激増のため武道館を開放し職員玄関と西翔会館に受付を設置。食事は食堂の在庫物資を使って女性職員が調理。ガソリン発電機を用いて発電を開始 3/12(土)避難者名簿作成開始。食糧確保のため職員と生徒が大型スーパー店を巡る。東松島市から飲料水が補給。トイレ用にプールの水くみ開始。職員で校舎中のトイレ清掃。受水糟から飲料用の水くみ。カーナビのテレビで状況確認と情報収集し西翔会館に情報提供。整形外科が病院ごと避難。警察官が3名来校し現状を報告。避難所の態勢準備 3/13(日)宮城県内で孤立状態になっている要救助者が13市町村で2万人を超える可能性。マスク着用の励行、トイレ掃除の徹底。午後にインスタントラーメンなどの食糧が届き始める。東松島市の災害対策本部に石巻西高を正式に避難所として認めてもらうように要請。土足禁止 3/14(月)職員の役割分担を作成し正式に避難所としての運営を開始。携帯電話の電波が入り始める。近隣の開業医師により健康相談が開始 3/15(火)県教委に状況報告。体育館(講堂)が遺体安置所(最大約700名)、検視所になる。昼頃に電気が復旧しインターネットも事務室のポータルも復旧 3/16(水)日中は混線するも携帯電話の電波はほぼ入る状態になり充電のために人が殺到。西翔会館の受付を閉鎖し本部前に受付を移動。仮設トイレが部室棟前に4か所設置。東松島市災害対策本部との連絡・調整を開始し食糧、生活用品、ガソリンなどが支給 3/17(木)職員だけでの炊事対応が困難で避難者から食事班を編制。船岡支援・名取支援学校からのボランティア第1陣到着。電話会社が仮設電話設置。水道が一時的に復旧 3/18(金)警察庁のまとめで死者が全国で6911人になり阪神大震災を超えて国内で戦後最悪の災害になる。避難者の中から水くみ当番とトイレ当番を編制 3/19(土)再び断水。船岡支援・名取支援学校からのボランティア第2陣到着 3/20(日)午後に水道復旧 3/21(月)日赤医療チームの診療開始。東部保健福祉事務所に合同講義室・多目的室・生徒会室を貸与。近隣の飲食店がこの日から三日間タ食にカレーを提供 3/22(火)シャワーが使用可能 3/23(水)一般入試合格発表 3/26(土)東松島市災害対策本部がタ食用弁当配布開始。日赤医療チーム診療 3/28(月)学校の食堂契約業者に食堂運営の協力を要請 【4月】 4/1(金)新任職員赴任、転出職員に兼務発令。この日から職員4人の当直体制が開始 4/4(月)東松島市役所の2次避難説明会 4/5(火)ホームページ、緊急時一斉メール配信及びテレビのテロップで4/11(月)の出校日連絡 4/7(木)避難所運営継続を確認。深夜11時30分頃に震度6弱の余震が発生。近隣の住民10数名が避難。物品破損、断水、電気不通。石巻市役所の2次避難説明会 4/8(金)電気が復旧。この日から職員3人の当直体制が開始 4/9(土)東松島市役所の2次避難説明会。日赤医療チーム診療 4/10(日)朝に水道が復旧。大曲地区センター、南区西地区センターに38名の避難者が移動 4/11(月)在校生出校日(追悼式・修了式・離任式)。生活状況調査。17時16分頃に震度5弱余震。津波警報発令で10数名の避難者 4/14(木)合格者予備登校日。午後は石巻好文館高校が本校で予備登校。日赤医療チーム(15日) 4/18(月)避難所の掲示物の撤去や毛布などの後片付けを開始。日赤医療チーム 4/20(水)石巻市役所の2次避難説明会 4/21(木)始業式・新任式・入学式。石巻市から避難所運営支援員2名派遣。教職員の当直が終了 4/22(金)通常の授業形態で生徒の通学状況を把握 4/23(土)避難者全員が次の避難所へ移動。全ての避難所業務が終了
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